はじめに
戸定邸は、江戸から水戸街道に沿って進むと最初に現れる宿場町、松戸にあります。松戸には、当時の宿場町の証跡はほとんどありませんが、戸定邸を筆頭にいくつかの歴史遺産が姿を隠すかのように残っております。
戸定邸とは
戸定邸は、水戸藩の別荘であり、水戸藩最後の藩主である徳川昭武により建てられました。彼の実の兄にあたる徳川慶喜は、かの有名な徳川幕府最後の第15代将軍です。
徳川の権威失墜と謹慎
江戸幕府は、徳川慶喜の代で大政奉還を実施し、政権を明治維新政府に明け渡しました。その後、徳川家の人間は、徳川の権威は失墜し、政権へ影響力がないことを明治維新政府にアピールするためにも、政治活動や社会活動を謹慎する必要がありました。
慶喜と写真
では、どのように社会活動をしていないことを示すか。それを暗示するために、彼らは趣味に没頭するという表現を使いました。そうです、写真です。当時は、おそろしく高価だった写真機を使った写真という趣味で政権への影響はないことを表すなんて、なんという皮肉でしょう。
戸定邸には、慶喜の撮影メモや写真が残っています。写真については、当時の狭いラチチュードでも美しく表現されたシャドー部の細かい表現が素晴らしいので、一見の価値ありです。研究に研究を重ねて腕を磨いたと確か説明書きされていたかと思いますが、これまたお金がかかってそうだなと思いました。
おわりに
街に残る歴史の足跡は、歴史に埋もれていきますが、松戸という街の歴史は、慶喜の写真によって多くが記録として残っています。今でも慶喜のファインダー越しの世界が見られるし、松戸の歴史を彼が作っていることに感謝です。