Kikroing on the Tree

日記とポートフォリオ

手賀沼のほとりで信仰が続くロシア正教〜旧手賀教会〜

茅葺き屋根の旧手賀教会

千葉県北総エリアをドライブしていたら、ふと目に入った教会の案内の看板。こんな辺鄙な田舎に教会なんてあるんや、と思い寄ってみることに。

 

1881(M14)年に民家を転用し、この教会が建てられた。その後、昭和になって修復工事が行われ、令和になっても修復が5千万円ほどかけて行われたそうだ。特に茅葺き屋根の修復が難儀らしく、遠く福島県大内宿の職人に頼み、保存が行われているとのことだ。

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茅葺き屋根の古民家は、大内宿や白川郷のようにインパクトのあるつくりをしている訳ではないが、こじんまりとして人々に守られてきた印象を受ける。昭和の一時期でかなり退廃したところを修復したという事実はあるが。そんなこじんまりとした茅葺き屋根の旧手賀教会について、お話を伺ったので要点だけまとめておく。

 

ロシア正教会と手賀の豪農

この教会の特徴は、なんと言ってもロシア正教会であるという点に尽きる。千葉県出身の私からしたら、「なぜこんなとこに」が正直な印象だ。手賀沼は現在、サイクリングロードが整備され、人々のくつろぎの湖沼となっているが、裏を返せば都市開発が進まない土地である。こんなところにどうして、ロシア正教会が根付いたのだろうかと不思議に思う。

 

柏市の係の方が、歴史に身を寄せて、少し話をしてくれた。

手賀沼利根川からの海運の要所となっており、周辺の商業が盛んになり、時代の流れにうまく乗った豪農が多かったそうだ。彼らは手賀沼から金だけでなく、海外の最先端の情報も得ることになった。時代は明治であり、当然インターネットもなく、時代の最先端が海運の要所ということだ。しかし、明治維新の激動の中ということもあり、時代の移り変わりの狭間から生まれる彼らの知識欲は大きく、さらに最先端を早く手に入れたいと思ったのだろう。なんと彼らは、外国人から直接話を聞いて海外の進んだ技術を知りたいと考えたそうだ。そこで、目を付けたのが、宗教ということだったらしく、教会を建てて外国人を誘致すれば、東京から離れた手賀沼にも外国人が訪れてくれると考えたとのことだ。

 

行動すれば、時代は動くのかもしれない。なんと彼らは教会を建設し、実際に外国人を誘致した。それがかの有名なニコライだ。ニコライはロシア正教を日本に布教するために精力的に活動した。東京・神田にあるニコライ堂は彼の功績の一つだ。そんな彼がなんと手賀沼を訪れたらしい。そして、民家を転用した教会をロシア正教会の教会として認めたとのことだ。

 

民家を転用して建設した教会を、彼が認めたのは、その眺望にあったらしい。今では手賀沼周辺は大干拓によって農地が広がっているが、昔は、高台にたたずむ教会のすぐそこまで沼が来ていたらしく、その眺めを気に入ったニコライがロシア正教の教会として認めたとのことだ。

 

そうして、外国人を無事に誘致できたはいいが、肝心の海外の情報を得ることはできたのかは定かではない。しかし、一つの事実は今でも大切に引き継がれている。それは信仰心である。現在でも信者は10名ほど残っており、この土地に根付く信仰心は途絶えていない。ひっそりと守り抜かれている手賀のロシア正教に、この土地のプライドを感じる瞬間だった。手賀に根付く信仰心はいつまでも絶やさずに守られている。

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半円アーチ窓に十字桟があしらわれ、教会であることが分かる

 

また訪れて知見を広めたいところだ。