Kikroing on the Tree

日記とポートフォリオ

愛新覚羅溥傑と嵯峨浩のゆかりの地へ

ゆかりの家

愛新覚羅溥儀は、清国ひいては中国王朝のラストエンペラーとして有名だ。今回訪れた場所は、彼の弟にあたる溥傑が日本軍に従軍していた頃に住んでいた家である。その家は、もともと別荘として使われており、少しの間だけ当時新婚であった溥傑と浩に貸していたとのことだ。

www.city.chiba.jp

 

溥傑と浩の略歴

溥傑と浩は、政略結婚によって半ば強制的に結ばれた。当時の軍部は、満州国を傀儡政権として建国し、日本の支配を中国本土に広めていた。日本人と満州国皇帝(溥儀)の弟(溥傑)を結婚させることで、より強固に日本の支配を強めようと、満州国の皇帝の弟に見合う階級の人間、しかし天皇家への混血は日本と同列になることから、皇室の親戚にあたる嵯峨家の令嬢、浩と結婚させられることになったのだ。

 

しかし溥傑と浩は、政略結婚によって出会ったものの、その愛は確かなものであった。新婚生活を過ごしたゆかりの家でも仲良く暮らし、溥傑は晩年に最も楽しい時間であったと評している。その後、日中間での戦争が勃発、満州国の崩壊と度重なる容赦ない運命が二人を襲うものの、彼らは愛によって信じ合い強く生きた。

 

ゆかりの家は路地裏に

片道3車線の大きな幹線道路から1本入った路地に、ゆかりの家はある。恥ずかしながら、私は溥傑についても何も知らなく、当然そのようなゆかりの家が残っていることも知らなかった。前記事でまとめた別荘地の係の方に教えてもらって、今回訪れた。

kikorin12345.hatenablog.com

 

当時は、畳の上に絨毯を敷き、西洋風の机や椅子を用いて生活をしていたそうだ。

GRIIIx

正直に言うと、何の変哲もない日本家屋である。しかし、私は、溥傑と浩という夫婦の人生になぜか興味を惹かれ、自伝まで買ってしまい、今少しずつ読んでいる。自伝は初めて読むのだが、他人の手帳を覗いているようで面白くもあり、大変苦労をしたことも生々しく伝わったりと小説と違ってまた良いなと思った。

 

ハードブックなんて中学生ぶりぐらいに読んでいる。