大房(たいぶさ)岬は、1940年代に首都防衛のため、要塞化されていた。そのため、地図からも重要な軍事拠点として、その存在を消されていたそうだ。現在では、ホテルが小さい岬の中心に構えており、大房岬一帯がリゾート地化しているような印象である。とはいえ、遊歩道やキャンプ場等々が整備されているだけで、派手なリゾート感はない。
遊歩道を5分ほど進んでいくと、もうそこは東京湾に面した内房の海岸線となる。京葉工業地帯と同じ海岸線であるとは思えないほど、威厳のある岸壁ではないだろうか。下調べをそこまでしていなかったので、この光景に少々驚いた。
斜めに地層が露呈している。
実は、この海岸は美しさとは裏腹に、戦争の負の歴史もある。ここは、太平洋戦争末期に開発されていた人間魚雷回天の基地でもあった。その射出カタパルトが残っていることでも有名みたいだ。写真下の2本のレール状のものが、その痕跡であるらしい。
岸壁にも、素掘りの壕が掘られており、かつての帝国軍の証跡を追うことができる。
かつての兵隊さんもこの光景を見ていたのだろう。今よりも内房の海が綺麗に見えたのだろうな。
海岸線を離れ、岬の方へ登っていく。
島にいるような錯覚を覚える植生だった。少しばかりか、沖縄戦の情景を思い起こす。土地に染み付いた記憶は、訪れる人へ過去を伝える。
発電所があったとのことだ。前述の通り、この岬は要塞化していたため、電力を自力で賄っていたみたいだ。東京湾への侵攻を防ぐための第一線になったであろう場所であり、重要な軍事拠点だったことが窺える。
戦跡は、急にその姿を表す。あまり整備がされていないためか、状態が良く残っているような印象だ。とはいえ、70年ほど前の施設であるため、老朽化してきている。
奥まで行くことができる。昇降式のサーチライトがあったとのことだ。
当時は、レーダーなどはなく、夜間は強力のサーチライトで敵機を照らし、攻撃していた。先程の発電施設は、強力なサーチライトの電力を賄うためなのだろう。
戦争が終わった今は、昼間の明かりが綺麗に差し込む。
かつての出来事は歴史に埋もれていくのだろう。所々に流れた時間の長さを感じるものがあり、人々が忘れてきて何年経つのだろうと考える。
岬から内房の海を見下ろす。
当時の海も綺麗だったのだろう。
そんな綺麗な海を眺めながら、迫り来る脅威に備えていたのだろうか。