Kikroing on the Tree

日記とポートフォリオ

もうのれんはくぐれない

大阪に住んでいた時に本当にお世話になったBarの店主が亡くなった。人づてで体調が優れないことは伺っていたが、ついこないだまで店に立たれていたから急な知らせだった。

出会ったのは、大学入学すぐの春だった。ストレートで大学に入学していなかったため、お酒は飲める歳になっていた。当時、このバーでは最年少であった私を暖かく迎えてくれた。店先に値段も何も書いていないお店によく入ったと感心することもあるが、それよりも若い大学生を分け隔てなくお酒を注いでくれたことに感謝だった。

 

初めての店を訪れた時、色々な話に花が咲き、しまいには週末の日本酒のフェアに店主(以下、お母さん)と2人で行こうというお約束までしてくれた。確か、島根の日本酒フェアだったかな。

 

それから、基本的には週1でお店を訪れるようになっていた。沢山の常連さんに囲まれながら、日本酒も楽しんだ。最後の方には、日本酒を肴にお母さんと常連さんとの会話を楽しむまでになっていた。

金土は、カウンターがいっぱいになるぐらいの大盛況だった。そのため、私は木曜に多く訪れるようにしていた。そうすると、お母さんと他愛もない話ができたり、ふらっと訪れた常連さんとも色々お話ができたりした。

 

大学卒業時もここで出会えた沢山の方にお祝いしてくれた。そんな写真を見ながら、ふと涙が溢れる。卒業後、大阪を離れることになり、年に2、3回しか顔を出せなくなってしまった。あれだけ良くしてくれたんだから、大阪に来たら必ず寄っていたのに。そんなお店ののれんは、もうなくなってしまった。

 

訃報を聞き、お通夜だけ参列させていただいた。

もうあのカウンターでお酒を飲みながらお話しをしたり、冷蔵庫から日本酒を取り出したり、トイレの電気を自分で付けたり消したりできないことがとても悲しい。日本酒を飲むたびにJET STREAMを聴くたびに、いつもあの時を思い出す。