Kikroing on the Tree

日記とポートフォリオ

留学から10年、あの時何を考え、今何を思うか。②

 

kikorin12345.hatenablog.com

 

前回の記事から少し時間が空いたが、また筆を進めてみようかと思う。

高校時代の短期留学を終え無事帰国した私だったが、待ち構えていたのは大学受験であった。当時を思い返すと、なぜ素直に大学受験を通らなかったのか不思議である。前も書いたが、ある種の逃げだったのかもしれないなと思う。今となっては、いろいろな御託を並べることができるが、本音は、おそらく逃げだったと思う。

海外大学への正規留学へ

周りが大学受験をするなか、結局、海外大学への進学という進路を選択した。当時、海外大学への進学を選択することは、それなりに異色の部類だったかもしれない。母校の進学実績をHPから覗いてみると、いやはや現在でも異色の部類になるかもしれない。

 

海外大学の通常授業を受講しエッセイを執筆できるレベルになるまでアカデミックイングリッシュを底上げするため、国内の大学進学支援アカデミーのような専門機関に半年ほど通い、9月に渡英した。渡英してから、銀行口座の開設や携帯電話のSIM契約等、様々な非日常英会話で苦労したことを覚えている。大学のフレッシャーズイベントで手厚いサポートがあるものの、こういった手続きは日本語でも難しいことから当然に海外でも難しい手続きとなる。また、様々な手続きが日本よりもシンプルな説明ではあるが、本当にこれでいいの?という漠残とした不安が残ったりもする。それは、日本でややこしい契約を常日頃から見てきたからということもあるかもしれない。

 

手続きに一区切りしてからは、大学の講義の開始である。セミナーを受けることはギリギリできた。難しい内容の講義でも専門用語や言っていることは、日本の義務教育をベースにしていると、その応用で理解できることが多かった。一方で、ディスカッションには苦労を強いられた。自分の思いを相手に伝える英会話はできる。しかし、何かを相手に説明することに全く慣れていなかったのだ。例えば、Can I have a pint of beer, please.とか。こういった英語はすぐ出てくると思う。

一方で、water has flosenとかa garden turned into oil field等の主語が固有名詞になると途端にだめになってしまう。こういう英語には大変苦戦した記憶がある。ディスカッションで求められるのは、誰かの思いというよりは、論題に沿った意見交換であるため、こういった主語がIでないことが多い。そのため、留学時の最後の最後まで苦労した。

 

大変苦労しながら、月日が流れた。自分が挫折するかもしれないと思い、今後の進退について考え始めたのは、留学から半年経った頃であろうか。今思うと、諦めるのが早かったかもしれないが、まあ順当だったのか。

 

一度、諦めてしまったら、話は早く、海外から国内の大学の編入やら再度の入学を目指すために情報収集を始めた。もちろん、大学入学以外の進路もあった。例えば、実家の家業を手伝うとか、スタートアップ企業に雇ってもらうとか。しかし、一度はレールを外れた身からしたら、大学入学以外の選択をとれなかった。この選択は、賛否両論あると思う。折角、人と違ったことをしたんだから、凡庸なレールに戻ってしまってはもったいないとか思われるかもしれない。でも私には、この選択はできなかった。

 

そんなこんなで、今後の進路について、何の決定もせずにとりあえず帰国ということになった。帰国は、9月ぐらいであったが、何の進路も決まっていないいわゆる「路頭に迷った人」が誕生した。

 

家族や友人と相談しながら、結局国内の大学への進学を目指すことになった。受験まで3か月の短期決戦となったわけだが、とりあえず大学に入学することはできた。今思えば、窮地に追いやられていたのに、結構のうのうと受験勉強をして受験に挑んでいたなと思う。

 

つらつらと書き連ねてきたが、あまりオチのない話になってしまった。また、留学のチャンスが目の前に降ってきたならば、次はしっかりと考えた上で歩を進めていきたいと思う。最近、なんで留学したのと聞かれる場面が多いのだが、これに私は自戒の念をこめて「若気の至り」ですと答えるようにしている。

 

今、あの留学の経験が何かに活かせているか正直微妙である。仕事でも英文の契約書を読むぐらいのレベル感なので、特段留学しなくても問題なく対応できるようなことばかりだ。しかし、何かしら糧になってはいるのだろうなと思う。それは、留学ではなく、選択とか行動とか、そういった非言語的な経験が大きな価値になっているような気がしている。